新年あけましておめでとうございます。みなさま、本年も良い年にしましょう。
さて、みなさん自己破産ってした経験ありますか?…新年早々こいつ何言ってんだ?って思うでしょう。私もそう思いますw
30代の私ですが、実は20代前半で自己破産を経験しています。どうしてそうなったのかという経緯と、自己破産をするとどうなるのか、それを書いていこうかなと思います。
時を遡ること10数年前、専門学校1年生だった自分は学校が退屈で仕方ない毎日を過ごしていました。というのも、高校3年間でプログラミングを学び、コンピュータの世界にどっぷり浸かった自分は、専門学校でプログラミングスキルを伸ばそうと思って専門学校に進学したのですが、入学してビックリ。3年間の専門学校生活の中で、2年は高校で習った内容をまたやるという、マジで意味のない学校生活が待っていたのです。
要は、専門学校に入学して初めてプログラミングに触れる人でも卒業する頃にはプログラミングのエキスパートとして云々という…。正直、私には退屈で退屈で。当時の私からすると、1+1=2という単純な問題を、私以外のその他大勢が悩んでいるという空間で、私含めて数名はマジで騙されたなとか言いながら遊ぶ日々が続くのです。
そこで悩んだ私は専門学校を中退することにしました。ここで無駄な2年を過ごすくらいなら、辞めてしまおうと、特に次何するとか考えている訳でもなく、ただ辞めたいと思ってしまったが最後、もう辞めたいしか感情が出なくなってしまったのです。
当時、ホームページがまだ珍しい頃で、HTMLができると多少はチヤホヤされる時代でした。まだCSSなんて概念がなかった頃です。全部HTMLでゴリゴリのゴリ押しコーディングでテーブルタグ使いまくったホームページとかがたくさん出始めた頃のお話し。
ホームページ作成ができる、ただそれだけで自分は個人事業主として、今でいうフリーランスとして仕事しようと、これまた何も考えずに家を飛び出します。世の中を舐めていたんですね。専門学生当時、貯金はあまりありませんでした。アルバイト代は全て使うという生活をしていたので、貯金なんてほとんどしていませんでした。高校当時から、3キャリア全ての携帯電話を持っていたのもあります。毎月の携帯代だけで数万とか使ってる日々でした。マジで意味わからん。
何で3キャリア持っていたかと言うと、当時、絵文字というのはキャリア間では表示されなかったんです。例えば、docomoから当時のJ-phoneに絵文字を送ると、「〓」みたいな表示になるんですね。高校のアルバイト代を全て自分が使っていた当時、金はあるから3キャリア持っちゃおうと、高校の時点でdocomo、J-phone(後のvodafone)、auと3キャリア持つようになったのです。女の子にメアドを聞く時に、どこ使ってるの?あ、J-phoneなんだ、じゃぁJ-phoneのアドレス教えるよ!みたいな事を、大真面目でやっていたのです。本当にバカ。仲のいい男子みんなでスタビに書き込んで、返信があった奴が優勝な!なんてやっていたころです。もう本当にバカ。(ちなみに、このスタビ書き込みは一時期かなり盛り上がり、大妻学院という女子高の女の子と仲良くなったのは良い思い出。制服デート楽しかった…)
脱線しました。で、専門学校中退後、W-ZERO3[es]というPDAが目に留まり、これも契約します。スマートフォンの原型というか、厳密に言うとPDAとスマートフォンは別物ですが、日本におけるスマートフォンの先駆者的な立ち位置でesの前にW-ZERO3が発売されていましたね。W-ZERO3はデブっちょでしたが、esになってスリムにスマートな見た目で印象的だったのを覚えています。
当時だとウィルコムというキャリアです。現Y!mobileですね。そして、このウィルコムというキャリア、当時はPHS専門のキャリアで、1台契約したらもう1台無料とかいうキャンペーンがたくさんありました。カップルの利用を狙っているキャンペーンですね。通話料24時間無料で通話し放題のPHSが2台あれば、カップルは電話し放題な訳です。私はこの策にまんまとハマりました。当時、オンラインゲームにハマっていて、SpecialForceとかWarRockとか、その辺のFPSにドップリ入り浸っていました。
クランで仲良くなった女の子を食い散らかしていたのもこの頃です。(PHS渡してあげるよでホイホイ釣れたのも時代を感じる)
この頃から、各キャリアの端末代を分割で契約するようになります。なぜなら一人暮らしをするようになって、実家にいた頃とは違う支出が増えたからです。さらに、個人事業主としてのホームページ作成代行は、チラッとだけ波にも乗りました。が、すぐに暗礁に乗り上げます。この時に活動費として手を出してしまったのが、消費者金融。そう、どんどん、何も考えていない自分は沼にハマっていったのです。
当時、クレジットカードも持っていました。JCBとビューカード。あろうことか、JCBは確かリボ払いにしてたような記憶があります。カード限度額一杯まで使っていて、でも毎月数万で済むなんて、なんて良いんだリボ払いなんて思ってました。本当にバk(ry
そして気付くと、クビが回らなくなっていたのです。収入に対して支出の額がヤバい。それでいて、元金の返済が進まない。そう、利子がデカかった…。ちょっとヤバいかもと気付いた時には、もう遅い。生活がままならないくらいまで、お金が足りなくなります。そこでどうしたかというと、消費者金融です。今まで契約してなかった、他の消費者金融と契約してお金を借りて補填する、自転車操業の始まりです。そんな生活を1年くらい続けて、仕事を辞める事になってしまいました。その時はかろうじてすぐに次の仕事が見つかりましたが、収入は激減し、もうどうにもならないと悟ったんです。
今なら、個人再生とか任意整理とか、選択肢があるのは分かるのですが、借金まみれで毎月カツカツの生活をしていると視野が狭まります。正常な判断が出来ない、情報の取捨選択が出来ないんですね。
そこで私が選択したのは…そう、自己破産でした。
次回は自己破産手続きについて書いてみようと思います。
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